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その動きはリアル?フェイク?(No28 アート技法)

監修:生物学者  福岡伸一 
※監修者の肩書きは掲載当時のものです。
企画制作: 日本ガイシ株式会社

今回のテーマ「アート技法」のサイエンス

名画はなぜ、まるで動き出しそうに見えたり、絵の中に時の流れを感じたりするのでしょうか?
その理由は「異なる時間を合成して、同時に描いているから」と福岡ハカセは言います。芸術家たちの仕掛けと工夫をサイエンスの視点でひもときます。

福岡ハカセのもう一言よろしいですか?

絵画は、ペンや絵の具などを紙やキャンバスの上においたものなので、原理的に静止画像でしか表現できません。なので、古来、芸術家たちは、被写体である人物や風景の移ろいや変化を、なんとかして生き生きと、動いているものとして絵の上に写し取れないだろうかと考えてきたと思います。その偉大なる先駆者は、ルネサンス期の天才、レオナルド・ダ・ビンチではないでしょうか。彼は、鳥の飛ぶ様子、水が勢いよく流れ行く様子を描きとめたスケッチを残しています。

17世紀のオランダの画家ヨハネス・フェルメールもそうです。フェルメールの絵は静けさに満ちた室内の様子を描写したものが多く、女の人が佇んでいたり、手紙を書いたりしています。でもそこにはいつも微妙な動きが含まれています。少女が振り返りつつある少女を描いた「真珠の耳飾りの少女」や、「牛乳を注ぐ女」などがその典型です。絵は止まっているのにまるで動いているかのように見えます。
どうして本来、止まっている絵の中に動きを表現することができるのでしょうか。それは絵の中に、わずかに異なる時間が複数含まれているからだと私は考えています。注がれる牛乳は、滴り落ちる流れの終盤を描いていますが、壺の中にはもう牛乳はありません。つまり、ここにはある一定の幅の、異なる時間が同時に描かれています。もし写真で一瞬を切り取ると、このようには決してならないはずなのです。この絵を見た人は皆、無意識のうちに、絵の中にある異なる時間を繋いで絵を鑑賞し、そこに流れている時間を感じ取ることができるという仕掛けです。

18世紀に活躍した葛飾北斎も動きを絵の中に表現することを探求した絵師でした。北斎の描いた「諸国瀧廻 下野黒髪山きりふりの滝」では、ダイナミックな滝の流れを描ききっています。が、これも異なる瞬間、瞬間の光景を合成することでできたものだと捉えることができます。

番組でも取り上げたテオドール・ジェリコーが描いた「エプソムの競馬」という、馬の走る様子を描いた絵があります。馬は皆、脚を前後に精一杯のばしています。しかし、写真技術が発明されたあと、実際の馬の走行を撮影してみると、馬は決してこのような姿勢をしないことがわかりました。そこで絵は絵空事だ、と言われるようになったのですが、有名な芸術家ロダンは、ジェリコーを擁護してこう言ったそうです。「ジェリコーの描いたのは幾つかの瞬間にわたって現れる姿勢である。画家の方が写真よりも真理を()っている。ジェリコーの描いた馬は実際走っているように見える」。(九鬼周造「文学の形而上学」)
ここにも芸術家の観察眼と直感が、絵の中に時間的な動きを生み出す秘訣が明らかにされています。

アート技法の解説図

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